「棒倒し」の余韻の残る陸上競技場が夕日に染まっていきます。
小原台・・・防衛大学校の開校記念祭にも日没の時が訪れました。
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開校祭が終わった後…
彼の部屋員は皆、用事や仕事があるのか部屋には二人きりでした。
彼は案内や仕事でくたびれたのか椅子に座ってうとうとしています。
制服姿でうとうとできるのも開校記念祭の特権でしょうか?
「お疲れ様」
開校記念祭で、 いつも寂しさで見えていなかった彼の環境が垣間見えた気がしました。
「とお子さんこそ、ありがとう。学校に、部屋にきみがいるのが不思議だけどすごく嬉しい」
いつも、時間に追われてばかりの防大で こんなにほっとできるのは久しぶりだと彼は言いました。
「一年生のころは泣いた時もあったけど…頑張ってよかった。」
18歳で防衛大学に入学し、当時は厳しい規律の中、たったひとり此処で奮闘していたそうです。
しかし、彼が上級生になったタイミングで、様々な制度や指導が開明的に変わったようです。
むかしの封建的な、そう成らざるを得ない組織である「自衛隊」「防衛大学校」で学ぶのは、本当に途方もない事だったろうと思います。
防衛大学の変化
防衛大学校は期別や世相によって、部屋構成(二人部屋だった時あり)、大隊の雰囲気 数(5大隊制だった時あり)、指導方針が変わっています。
学生たちの入校理由もそれぞれ 開校当初、バブル、震災後、意識や自衛隊の捉え方も大きく違うとか。
でも、ここを卒業するとき、そして 開校祭の時の気持ちは きっと全学生同じだったではないか?
人は去り、青い背中が それぞれ陸海空の制服に身を包んでも、民間の道を行っても、小原台で過ごした時間は消えることはないでしょう。
彼の夕日に照らされて青く輝く常装の背中を見ていると 何故か そう思いました。
開校記念祭フィナーレの花火
開校記念祭がフィナーレの花火と共に幕を降ろし、彼の片付け作業を待つためわたしは一足先に小原台を降りました。
朝の混雑のままのバスに揺られ、馬堀海岸駅周辺の彼お勧めの防大生御用達と言う居酒屋で彼を待ちます。
「あいつ、ごつくなってたな~」
「久しぶりだったよな」
周りはほとんど開校記念祭帰りのようです。
楽しかった二日間の思い出に浸りながら、三浦半島のおいしいお魚とお酒に舌つづみを打っていると彼が息を切らせてやってきました。
「わ、はやかったね」
「まってると思ったけど・・・たのしそうだね。」
飲んでいるわたしに彼は若干呆れ気味です。
制服姿で下宿にも寄らず来た彼には申し訳ない・・・
「さ、親待ってるからいこう」
「あ、そうだごはん誘ってくれてたんだよね・・・」
酒臭さかったらどうしよう・・・。
さっさと歩く彼に着いていきながら、わたしは楽しかった時間が終わってしまうことを考えないようにしていました。
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